愛知縣護国神社
愛知縣護国神社は、明治二年(1869)二月、尾張藩主徳川慶勝が明治戊辰の役(1868)で戦死した藩士等二十五柱の神霊を、現在の名古屋市昭和区川名山にお祀りして「旌忠社」と号したのが始まりで、明治八年(1875)「招魂社」、同三十四年「官祭招魂社」、大正七年(1918)4月27日、旧鎮座地広路町川名山より城北練兵場(名古屋城の北)へ移し、昭和十年に現社地に御遷座。同十四年「愛知縣護國神社」と改称、戦後一時「愛知神社」と称したが、同三十年現社名に復称した。 同二十年3月19日の空襲で御社殿は炎上したが、同33年11月本殿・拝殿等復興、同57年10月社務所竣工、平成10年3月神門・舞殿・廻廊が竣工し、戦災復興が完了した。
哀些忠勇戦死碑
明治2年5月建立。徳川慶勝が創建した旌忠社にあった哀些忠勇戦死碑。徳川慶勝直筆。前には旧社号標が残る。
参考文献
愛知県文化財保存振興会『愛知の史跡と文化財』名古屋泰文堂
愛知縣護国神社 http://www.aichi-gokoku.or.jp/
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