2018.08.19 07:49名古屋城名古屋城は、名古屋台地の北端に位置し、この地は平安時代から那古野(なごや)の地名をもって知られており、交通の利便のよい地でした。徳川家康は、第九子の義直に封土(ほうど)として尾張の地を与え、その居城とするため清洲城を改修しようとしたが、地の利の点などから、この地に城を築くことにしました。牧助右衛門ら5名を普請奉行に任じ、慶長15年(161...
2018.08.19 07:48名古屋東照宮尾張東照宮は、元和5年(1619)藩粗徳川義直公が名古屋城三の丸に創建し、明治8年に藩校明倫堂の跡地である現在地に移して義直公の霊を合祀し、後に慶勝公の霊を相殿に合祀しました。昭和20年戦災で焼失した後は、以前に曹洞宗万松寺にあった義直公の正室高源院(春姫)の御霊屋が大正3年建中寺に移建されていたものを昭和28年東照宮社殿(本殿)として、...
2018.08.19 07:47徳興山建中寺慶安4年(1651)藩主徳川光友公が藩粗義直公のために建立し始め、翌5年主要堂宇を完成、その規模の壮麗さは当時、府下寺院の第一と言われていたそうです。慶応2年(1653)境内を拡げ、元禄11年(1698)以後藩主光友の生母(吉田甚兵衛の姉・歓喜院)を始め、藩主綱誠公、光友公の御霊屋が次々営まれ、更に合祀のための一屋が加えれたましたが天明5...
2018.08.19 07:45尾陽神社祭神は、尾張藩祖義直で、慶勝は明治維新後に尊王の大義を明にして、孝明・明治の二帝に仕え英慮を安んじた。名古屋開府300年を記念して明治43年に愛知県と名古屋市により創建され、御器所の地に社殿が完成するまで、名古屋東照宮に合祀されていたが大正十三年に御鎮座された。昭和24年9月になって、天照大神が主祭神となった。徳川義直は、清須越しにより尾...
2018.08.19 07:04洲崎神社昔は広井天王(別に牛頭天王社、天王崎神社ともいった)といっていた。西南海に面した洲崎に鎮座したということから社名となった。太古この地は入江で洲崎になり、地神(石神)が祀られていた。貞観年間、出雲から素戔嗚尊がこの地に遷座、奉斎された。名古屋城築城以前は現在の栄一丁目全域が社地であったが、築城後、社地には武家屋敷が建てられ、境内に堀川が掘削...
2018.08.19 04:10若宮八幡社第四十二代文武天皇(697-707)の時に勧請されたとあるこの社は、901年~923年(延喜年間)に再興し天文元年(1532)3月11日、織田信秀が那古野城を攻めた際焼失したが、天文八年(1539)に再建。慶長十五年(1610)名古屋築城の際、現在の地に遷座された。武神の神・外敵防護・領内鎮護の神として、武将の厚い信仰を受け、家康は当社を...
2018.08.19 03:48那古野神社那古野神社の前身である天王社(または亀尾天王社)が創建されたのは、延喜十一年(911)醍醐天皇の勅命によるものと伝わっている。天文元年(1532)兵火にあい、烏有に帰したが同年八年(1539)織田信秀により再興された。文禄四年(1595)豊臣秀吉は、社領348石を寄進している。元和六年(1620)徳川義直改めて348石を寄進、黒印地とし、...
2018.08.19 02:48愛知縣護国神社愛知縣護国神社は、明治二年(1869)二月、尾張藩主徳川慶勝が明治戊辰の役(1868)で戦死した藩士等二十五柱の神霊を、現在の名古屋市昭和区川名山にお祀りして「旌忠社」と号したのが始まりで、明治八年(1875)「招魂社」、同三十四年「官祭招魂社」、大正七年(1918)4月27日、旧鎮座地広路町川名山より城北練兵場(名古屋城の北)へ移し、昭...
2018.05.06 09:47尾張徳川家尾張徳川家尾張徳川家は、徳川家康の九男義直に始まります。家康直系一門のうち、尾張・紀伊・水戸の三家を御三家といい、尾張徳川家はその筆頭で大名家の中でも最も格が高いとされていました。名古屋城を住居とし、尾張一国をはじめ六十一万九五〇〇石の領地を治める殿様です。【歴代当主】初代 徳川義直…実父 徳川家康2代 徳川光友...