洲崎神社

昔は広井天王(別に牛頭天王社、天王崎神社ともいった)といっていた。西南海に面した洲崎に鎮座したということから社名となった。太古この地は入江で洲崎になり、地神(石神)が祀られていた。貞観年間、出雲から素戔嗚尊がこの地に遷座、奉斎された。

名古屋城築城以前は現在の栄一丁目全域が社地であったが、築城後、社地には武家屋敷が建てられ、境内に堀川が掘削されるなど大きく縮小した。江戸時代は尾張十社の民社総社的立場にあり、水主町に広井天王御手洗の清泉もあって皇室、公家、徳川家より奉納が多数あった。天王祭は東照宮時代祭と並ぶ二大祭であった。

ご祭神に素戔鳴尊と稲田姫命の夫婦神、その子供の五男三女神を祀る神社で、稲田姫命は八岐の大蛇に娘を食われた足名椎(あしなづち)・手名椎(てなづち)の最後の娘で、生け贄にされそうになったところを素戔鳴尊に助けられ、結婚した神様。夫婦神の神徳により、縁結びにご利益があり、また相殿の石神ご祭神は布都御魂(ふつみたま)と道祖神で、道祖神も縁結びにご利益の高い神様である。


主祭神:素戔嗚尊

五男三女神 稲田姫命


参考文献

愛知県文化財保存振興会『愛知の史跡と文化財』名古屋泰文堂

名古屋市文化財調査委員会『名古屋の史跡と文化財(新訂版)』名古屋市教育委員会

名古屋観光 http://nk.xtone.jp/archives/suzakizinja.html (2018/8/12 閲覧)

縁結び神社研究会 http://enmusubida.com/spot/04tokai/aichi022.html (2018/8/12 閲覧)


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